<アーティスト・ファイル
2015:同行>は、日韓国交正常化50周年を記念して、韓国国立現代美術館と日本国立新美術館が同時代の美術を介して、お互いに疎通して理解の幅を広げるために企画された展示です。本展は、まず日本で夏に開催され(2015.7.29-10.11/日本国立新美術館)、日本の現代美術界と観覧客に多くの関心と呼応を得ました。
今回は韓国で二度目の出会いの場を設けました。
本展のために、韓国国立現代美術館と日本国立新美術館の担当学芸員はプロジェクトチームを構成し、2年間、韓国と日本だけでなく、ヨーロッパやアメリカの美術現場を共に訪問し、日韓の作家たちの作品活動を綿密に調査して展示を構想しました。その後、継続的に討論を行い、同時代美術の現場で際立った活動を行っている合計12名の作家と200余点の作品を選定しました。20代から40代までと幅広い年齢の作家たちは、絵画、彫刻、写真、映像など多彩な媒体で、本展のために新しく構想した新作を出品しました。同時代を生きる芸術家としての意識を共有しながらも、韓国と日本という非常に異なる社会文化的環境の中で活動する両国の作家たちは、社会問題に対する理解、美学、芸術的アプローチなどで多様な面を見せ、興味深い視点を提供します。
作家紹介
小林耕平
1974年東京に生まれる。埼玉在住。
小林耕平は、日常の事物や言語に対する考察を主に映像とインスタレーションで表現している作家です。
2000年代中盤以降、事物の機能的、概念的脈絡を解体する一連の行為とそれを記録する映像を発表し続けてきました。
制作過程において、既製品が置かれるべき場所を微妙にずらし、作家自身の自問自答や事物との対話によって、展開しています。今回の<アーティスト・ファイル>展では、文学理論家や振付家との共同制作でオブジェと映像からなるインスタレーション作品を出品しました。
三人はまずしりとりのようにしてつなげた15個の文章を作り出し、この文章を基にして作られた15個のオブジェが展示場に置かれます。これらのオブジェや文章を基にして演出されたパフォーマンス、そしてこれを記録した映像、展示場に置かれたオブジェで新しい意味を作り出そうとする三者間の対話など、作品は意味と形式が繰り返し相互参照しながら拡張される形態に展開されます。
キ・スルギ
1983年ソウルに生まれる。ソウル在住。
キ・スルギは、物質的な現象や空間での経験に対する関心を隠喩的かつ圧縮的な方法で表現する作家です。水、色、光といった形のないものや、特定の空間で経験する微妙な感情を主に写真や映像、インスタレーションなどの媒体によって可視化します。特に、平面と立体、部分と全体、親密さと疎外感など、対照的な概念の間の緊張関係を積極的に活用しているのが特徴です。
<Unfamiliar
Corner>(2012)、<Post Tenebrax Lux>(2014)などの作品で、作家の身体を分節した形で画面に登場させたり、視空間に痕跡を残す衝動的な動きで介入したりして、観者の想像力を刺激します。本展のために制作した新作<砂をかむ瞬間>(2015)は、安部公房の有名な小説<砂の女>からインスピレーションを受けた作品で、日常で感じる不便さと危うさを主題にしています。
手塚愛子
1976年東京に生まれる。ベルリン在住。
手塚愛子は、織物を解きほぐし、平面と立体の境界を出入りするイメージを作って来ました。大学で油絵を専攻し、絵画の材料であり基本構造であるカンヴァスに絵の具を塗る代わりに、糸を利用して刺繍を施すことを試み、これをきっかけに織物を活用した立体制作に移行しました。解きほぐす対象となる織物は、20世紀初めのアンティーク小品からファッションブランドのスカーフ、作家自身がデザインして注文制作した織物まで多様であり、作家はこれに象徴的なイメージを図案化して結合させることで、新しい意味の層を加えています。たとえば、本展に出品した<Certainty/Entropy (England 6)>では、有機農、リサイクル、平和、放射能の危険などを象徴する現代的記号を、金糸で刺繍した織物の表と裏を同時に見せるインスタレーションによって、象徴的イメージの構築と解体、そして再構築という循環を劇的な方法で見せてくれます。
冨井大裕
1973年新潟に生まれる。東京およびニューヨーク在住。
冨井大裕は、主に既製品(レディメイド)を利用して彫刻という媒体の意味を探り、その地平を拡張させている作家です。
大学院で彫刻を専攻し、初期には、階段、家、本、人物などのモティーフを縮小した石膏作品を制作していました。
この制作の過程で、彼は彫刻と彫刻を置く台座、場所など、作品と作品を取り巻く環境の関係について関心を強めていきました。
近年は、平凡な事物を使用してその機能ではなく形に注目したり、日常風景から彫刻的要素を見つけて記録したりして制作に取り組んでいます。
本展では、ジーンズをはじめ、紙くず、木ねじ、ショッピングバッグなど多様な既製品を利用した新作が紹介されています。
一方、2011年から現在も進行中の<今日の彫刻>は、作家が毎日の生活で遭遇する彫刻的な状況を写真で記録してツイッターにあげている作品です。現代都市生活の様々な状況の中で作品を見つけようとする継続的な試みは、芸術の範疇と制度に対する作家の尽きない悩みと省察を見せます。
百瀬文
1988年東京に生まれる。東京在住。
百瀬文は、映像イメージの本質について、そしてこれを鑑賞する行為が持つ意味について問いかけている作家です。作家の映像作品において、ジェスチャーと声、そして台詞は非常に重要な要素であり、他人との関係やコミュニケーションに揺らぎが生じることで、撮影という行為の暴力性や倫理性が暴露されます。
本展に出品した新作<定点観測[駐屯地の友人の場合]>(2015)で、作家は日本の自衛隊員の友人にアンケートを渡した後、各質問への回答を連続して読むように言います。一見すると、アンケートに回答した人が本人の意志で回答しているように見えますが、回答の羅列が一連の意味を作り出す過程を追っていくと、質問を構成する段階から既に作家の意図が巧みに隠されていることが分かります。作家の微妙な操作に気付いた瞬間、私たちは企画や撮影、編集などのいくつかの段階を経た映像という媒体が必然的に持つ政治性と権力を認識するのです。
南川史門
1972年東京に生まれる。ニューヨークおよびベルリン在住。
南川史門は、絵画を主な媒体にして、その従来的な形式から逸脱するような作品を制作して来ました。淡い色彩で描かれたポートレート(肖像画)から、鮮明な蛍光色を用いた抽象絵画、あるいはカンヴァスではなくイーゼルそのものに着色したものを作品として提示するなど、多様な試みを長く続けて来ました。パフォーマンスアーティストとのコラボレーションで、ジャンルの境界を横断する制作にも取り組みました。お互いに異なる形式の複数の制作を同時に進行しながら、作家はそれぞれの作品に与えられた意味を再定義して、作品を取り囲む空間も芸術に昇華させます。近年は、特に都市生活を重要な素材にして、美術史やデザイン、大衆文化などから借用した要素を使用しています。
本展に展示する<INDEX>連作は、東京とベルリンの新聞から抽出したイメージをカンヴァスに再配置して、都市を抽象的に還元して見せてくれます。
ヤン・ジョンウク
1982年ソウルに生まれる。ソウル在住。
ヤン・ジョンウクは、観察と経験をもとにして、ある日常の断想をテキストと動く彫刻によって表現する作家です。
作家は、まず生活の中で見いだされる些細な感情や直観的な思いを、短い詩や文章、短編小説などのテキストにおこし、次にテキストに共感覚的に対応する動く構造物を作ります。
限りなく手工芸的な方法によって制作されるこの彫刻には、単純かつ有機的な作動原理がそのまま露出しており、光と影、音、反復メカニズムといった要素が詩的な感性を刺激します。
本展で展示する<あなたと私の心は誰かの考え>は、作家が他人と疏通する過程で感じる多様な感情と状況を素材にした作品です。
関係構築の複雑性は、モーターで駆動させる木造構造物の動きときしむような音、光と影が作り出す隠密な雰囲気など、多様な要素の有機的組み合わせで具現されます。
横溝静
1966年東京に生まれる。ロンドン在住。
横溝静は、写真媒体の特性を用いて、自我と他者の間の様々な関係を問うてきました。
本展で作家は2006-7年に写真連作の形で発表した<Phantom>シリーズを新しく制作した映像バージョンとともに展示します。
この作品では、幽霊を見た経験のある俳優たちが登場して、その経験について話す場面が再現されますが、この時に俳優たちは過去に自分が演じたことのある役に扮して話すように要求されます。時間と空間、経験と記憶、イメージと他人の関係について、多様な質問が提示されます。
一方、本展で<Phantom>と共にまた一つの重要な軸を成す<Effigy>(2014)は、一方が硝子になっている鏡と貝殻を使用した作業で、この貝は人類が初めて作った人体模型の目に用いられたとしています。
人間の目を象徴する貝とこの貝を眺める観者の顔が鏡に反射して混合するイメージからなるこの作品は、自分の一部でありながら他者性を凝縮しているイメージについての話を扱っています。
イ・ソンミ
1977年ソウルに生まれる。ソウル在住。
イ・ソンミは、割れたガラス片、プレキシグラス、光や煙など透明で可変性のある材料を用いて彫刻を作って来ました。
特に、交通事故現場で拾って来た車の割れたガラス片は、日常の不安を主題にした作家の制作において重要な素材として機能します。
傷や不幸の痕跡を持つ素材は、丁寧に繰り返される作家の手作業によって、美しく透明なオブジェへと生まれ変わります。
作品制作のために必要とされる長い時間と何かの修行のように繰り返される退屈な制作行為は、それ自体が治癒の意味を内包し、素材自体が持つ性質をそのままあらわす効果を持っています。
本展のために制作した新作<Diary of 2015:my wish tree>は、ガラス片を利用して作った彫刻インスタレーションで、傷と治癒の両面性を持つ愛の記憶、そして不安で一杯な毎日の日常を耐えるための個人的意識としての祈りと願いを視覚化した作品です。
イ・ウォノ
1972年全羅南道順天に生まれる。ソウル在住。
イ・ウォノは、私たちの日常生活における物事や空間に対する考えを基盤にして、それを取り巻く概念を解体し、まったく別次元の状況として提示する制作を行ってきました。
運動場の白線をすべて取り除き、その白線だけで「ホワイトフィールド」をつくったり、初めから受取人のいない手紙を郵送し、宛先不明で返送される過程を封筒の中に入れた録音機で記録したりします。
このような社会的規則や通念、常識を覆すような過程を通して、作家は私たちに周囲の物事を対する新たな態度、世界の裏面を理解するためのもう一つの観点を提示します。
本展のために制作した新作<浮不動産>(2015)で、作家は韓国や日本の浮浪者が自分の家のように使っている段ボール箱を購入した後、この段ボール箱を用いて展示場内に大きな家を作りました。
浮浪者たちと交渉して段ボール箱を購入する売買の過程は映像に記録され、正式の契約書に署名をすることで完結します。
いつからか財産としての意味がより大きくなってしまった家の根本的な意味と価値について、改めて考えさせられる作品です。
イ・ヘイン
1981年京畿道高陽市に生まれる。ニューヨーク在住。
イ・ヘインは、絵画を制作の中心とし、インスタレーションや映像、パフォーマンスなどを並行して制作している作家です。
自身を取り囲む周辺環境の観察と個人の記憶を基盤にして、風景の変化や個人の孤独を主題にした作品を制作してきました。
作家は、特に絵画という古いジャンルの表現方式を取り巻く悩みと実験を多様な方法で制作に反映しています。
作家の絵画では、野外写生を重要な要素としていますが、これは、完璧な条件が整ったスタジオを離れて統制不可能な環境に投げ出された時に行き当たるあらゆる制約条件とそれによって発生する偶発的な状況こそ、絵画という行為に自由を与えると考えるからです。
本展では、再開発による風景変化を扱った<空き地-京義線陵谷駅前の野原>(2010)や旅行と野外写生のモティーフが基盤となった<ベルリンの夏の夜12時>(2012)、<あやしいキャンパー>(2013、2015)及び新しい連作が紹介されています。
イム・フンスン
1969年ソウルに生まれる。ソウル在住。
美術作家であると同時に映画監督として活動しているイム・フンスンは、社会の弱者、貧しく疎外された者の生と日常に関心を持ち、これを韓国近現代史の脈絡の中で眺める映像作品を制作してきました。
韓国近代化の一端を担った女性労動者の話を取り上げた<危路公団>、済州4.3抗争の犠牲者たちの話を基盤にした映画<スンシ>と<ビニョム>などは、すべて作家の知人に係わる個人の歴史を微視的な視点で扱っていますが、現代の巨視的次元につながる現実の矛盾的な話として表現しています。
作家の作品は、女性主義的な感受性を基盤にし、個人と共同体の関係、歴史と現在の関係について、絶えず多様な質問を投げかける方式で構成されているのが特徴です。
本展では、済州4.3抗争を主題にした<ビニョム>(2012)と<次の人生>(2015)を紹介します。
二つの作品は、当時の悲劇の残像と記憶、また現在の済州島の状況、そして個人が経験する生と死の境界について、美しい映像に解き放っています。
今年、女性労動を扱った<危路公団>でビエンナーレ銀獅子賞も受賞しました。